大卒後フリーランスに至るまで〜人生のドン底から這い上がる為にしたこと

こんにちは、就職活動で4社の内定を全て蹴って個人事業主という生き方を選んで6年、鈴木笑里です。

前回の記事では、大学2年生の時に「全国ポケサーサミット」という大規模なイベントを主催して「司会業」に天職を感じたという経緯を書きました。

イベント大成功!自分のやりたいことを見つけた!

…までは良かったのですが、その後、サークルという居場所、幹部という立場、友達、さらには恋人まで、全てを失ってしまいました。。

つまりこれは「心の支え」であるもの、「生き甲斐」を失ってしまったのと同義です。

ここから実に8ヶ月以上もの間、孤独で眠れず、生きている意味の分からない日々を過ごすことになります。

運良くすこーし寝付けたとしても、悪夢にうなされ泣きながら目覚めるような日が240日以上も続きました…。今になって考えてみると、よく生きてたな、わたし。生きていただけで偉いぞ、と褒めてあげたくなります(笑)

さて、今回は、このような状態からどうやって脱したかを記していきたいと思います。

ドン底からの這い上がり

落ちて落ちて落ちまくって8ヶ月。このままでは人生が終わってしまう、と感じ取った私は、何とかしてドン底から這い上がろうと試みました。

このドン底まで落ちた経験、そしてそこから這い上がろうともがいてきた経験が、今に生きているのだと。

逆に、この苦い経験がなければ確実に今の私はない、と言い切れます。

幸い、自分のやりたいこと(喋る仕事)は見つかった。イベントの日のアナウンス技術は褒められた。

それが唯一の救いでした。

その少しだけの自信を元に、もっと自分を磨こうと決意したのです。

アナウンススクールに通う

翌年、大学3年生の時。テレビ朝日のアナウンススクールに通い始めました。

現役アナウンサーの講師の方々から外見はボロクソに言われましたが、技術は褒められないこともありませんでした。

周りのお綺麗な方々と比べて劣っている自覚があったからこそ、練習に精を出しました。

せめて技術だけは誰にも負けない力を付けようと、毎日授業の合間にキャンパス近くのカラオケ店に行き発声練習をすることは欠かしませんでしたね。

東京湾納涼船にて学生キャスターの経験

学ぶだけではなく実践の場で活かしてみたいという気持ちにもなりました。

夏に運行している東京湾納涼船という2000名くらい乗れる大きな船があるのですが、そこで「キャンパスDJ」という名の学生キャスター(プロのナレーターさんのアシスタント)を務めさせていただきました。大学3年生の夏のことです。

もちろん誰でもできる訳ではなく、オーディションによる選考がありました。

全てを失った私にとって、これは這い上がって新しい世界を見ることができるかもしれない大チャンスだと思えました。

結果、合格し、ここでビシバシと鍛えられることになるのです。

2000人乗れる大きな船ですから、イベント用の大きなステージがあって、DJブースがあって、そこの様子は船内にテレビ中継で常に放送されています。

2時間の航海が一つのテレビ番組のプログラムのような、そんなイメージです。

その中で2時間台本がない状態で、アドリブでの喋りを求められます。

DJ・ステージMC(司会進行)・レポーターなど、ありとあらゆる喋りの仕事を経験させてもらえました。

東京湾納涼船というのは7月~9月の夏季限定の運行で、大学3年生の夏と大学4年生の夏、2回経験することができました。

これはイベントの仕事とはどのようなものかを知る非常に良いキッカケになりました。

そして、新たなコミュニティ(居場所)ができ、友達もでき、徐々に自己肯定感も上がってきてドン底からの脱却も目前になってきました。

毎回浴衣を着て喋ってました。

学部のプログラムでタイへ留学

一つのサークルの狭い世界しか知らなかった私にとって、留学経験は世界観を広げる助けになりました。

日本の常識や価値観は世界規模で見ると何一つ当たり前のことはないんだと知ったと同時に、「当たり前」の価値観を選び取る必要もないのだと気付きました。

そう思えたことは、フリーランス(個人事業主)という生き方をするのにプラスになったと思っています。

泳いだ後のノーメイク(笑)

外見のコンプレックスからの脱却

人より外見に恵まれている訳ではないと知っていたつもりではありましたが、アナウンススクールの講師の方々に毎週に渡って指摘されるとなかなか心に来るものがあります。

私はお客さんとのリアルタイムでのやり取りが好きなので、カメラに向かって喋るアナウンサーになりたかった訳ではありません。

とは言っても、人前に出る仕事には変わりありませんから外見は見られて恥ずかしくない程度には整えなければなりません。

イベント司会者というのも書類選考がありますので、写真で選ばれると言っても過言ではありません。

それなのに私は写真があまりにも苦手だったのです。内気な性格と顔面のコンプレックスから、カメラを向けられると笑顔を作ることができませんでした。

これでは何も始まらないと当時のアナウンススクールの講師陣に思い知らされ、笑顔の練習・写真に撮られる練習を始めました。

具体的にやったこととしては、アナウンススクールの写真レッスン・メイクレッスンを受けたり、一眼レフを持っている友達に撮ってもらったり、この頃に流行っていた自撮り棒で色んな角度から撮ってみたり、あとは撮影会モデルの仕事をしてみたり、色々試してみました。

自分で撮るだけじゃ何の意味もなくて、撮られた写真を客観的に見るという作業が大切だということを知りました。

知り合い経由でいただいた広告のモデルや着付け学校のモデルの案件なんかもさせていただきました。

この頃から写真に撮られること(=カメラの前で演じること)に抵抗がなくなったのと、人前に出ても良いかなという自信が少しだけついてきました。

そして同時に、人の繋がりの大切さを大きく感じていきました。

納涼船やアナウンススクールの繋がりで業界ならではの情報を得られたり、仕事の紹介をしてもらえたり、繋がりによるメリットは大きいなと感じました。

このように、少しずつ人前に出てみたり、自信を付けたり、多くの人と関わったりすることで、何とかドン底の状態から脱することに成功したのです。

次回は山あり谷あり、魔の就職活動について書きます。

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