【アドラー心理学】『嫌われる勇気』をわかりやすく要約してみた【課題の分離・目的論】

こんにちは、暇さえあれば川辺に行って哲学をして日記に書き綴っている鈴木笑里です。

元々は心理学を学んでいたのですがいつしかアドラー心理学をきっかけに哲学にも魅力を感じるようになっていました。

アドラー心理学の教えをまとめた本『嫌われる勇気』は賛否両論ある書籍ですが、心に響く部分が多く

人生における考え方や価値観に革新を起こしてくれるキーワードが詰まった良著であるので、ベストセラーになっていることも納得の一冊です。

今回はその内容をまとめてみようと思います。

アドラー心理学とは哲学である

まず、アドラー心理学とは「心理学」と名前がついていますが、正確には哲学の範疇です。

『嫌われる勇気』では「ギリシャ哲学と地続きにある学問」という表現がなされています。

名前の通りアドラーというオーストリア出身の精神科医が始めた学問・思想です。

日本ではアドラーという人物は『嫌われる勇気』がベストセラーになるまではあまり有名ではありませんでした。しかし実は世界的には心理学者のフロイト・ユングと並べて語られることの多い三大巨頭の一人としてよく知られています。

フロイトの提唱した理論もアドラーの提唱した理論も正確な意味での心理学(科学)と言えない部分はありますが、哲学の思想として長年にわたって多くの人々の役に立っていることは間違いありません。

宗教とは何が違うのか

科学とは言えない思想?だったらそれって宗教なんじゃないの?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

が、この点に関しては『嫌われる勇気』の続編である『幸せになる勇気』内で明確に否定しています。

具体的には、物語が存在しないこと、考えるのを止めないという点で宗教とは異なると言っています。

宗教は神などが存在する「物語」で全てを語ろうとしますが、アドラー心理学の教えは抽象の概念で世界を考えるから「哲学」である。

そして、宗教は教祖様の教えを全て受け入れて信じ込んでしまうが、アドラーの教えは疑うことも許されていたし「時代に合わせて更新してほしい」という言葉をアドラー自身が残したとされています。

 

どちらも明確に宗教とは異なる点であり、哲学の特徴を備えています。

 

ちなみに、ここに「再現性」「実証性」「客観性」などの特徴が加われば「哲学」ではなく「科学」となります。

『嫌われる勇気』がベストセラーになった理由

そんなアドラーが提唱した哲学的な教え(アドラー心理学)をわかりやすい対話形式でまとめたのが『嫌われる勇気』という本です。

2013年に発売されて以来、世界中で350万部を超えるベストセラーとなっています。

ここまで売れた理由について、個人的な3つの意見をまとめてみます。

常識へのアンチテーゼという側面

まず第一に、常識のアンチテーゼという側面が強いということが挙げられるでしょう。

簡単に言うと「常識を否定する教えが多い」ということになります。

後述しますが、「トラウマは存在しない」「過去など存在しない」「競争してはいけない」「褒めてはいけない」など、我々が当たり前のように信じていることや行動を否定してきます。

これだけを見ると胡散臭い教えだなと感じる方もいると思いますが、読んでいくと妙に納得感があって「なるほど」と頷いてしまうのです。

一般的な常識とは反対のことを説いているからこそ、どんなもんかと読んでみたくなるという人は多いでしょう。

そして多くの人が納得させられてしまいます。

人間関係に苦しんでいる人が多いから

そして、アドラー心理学とは「人間関係」に関する教えです。

「全ての悩みは対人関係の悩みである」と断言している程です。

つまり、対人関係の悩みを解決すれば全ての悩みが解消されると言っているのに等しいですよね。

 

ということは、現代社会にそれだけ人間関係で悩んでいる人が多く、その人々に『嫌われる勇気』が突き刺さっているということなのでしょう。

『嫌われる勇気』の登場人物は、劣等感に悩み人間関係も上手ではない「青年」と、アドラー心理学を研究している「哲人」です。

この二人の対話形式で物語が進んでいくことになるのですが、対人関係の悩みを多く抱えている「青年」には共感できる部分があるので、自分と重ねて読み進める人は多いと思います。

きっと誰しもが同じような悩みを抱えていると思いますので、この「青年」は悩み多き現代社会の人々を代表していると言えそうです。

「信じたい」という無意識的な欲求

そして最後に、人間の根本的な欲求が関係していると私は考えます。

太古の昔から人々は何かを信じて生きてきました。

それは一緒に暮らす仲間であったり、神の存在であったり、科学という手法であったり、会社という組織であったり、時代によって様々です。

しかし「信じる」という行為自体は普遍的なものであり、人間の本質的な欲求の一つと言っても過言ではないでしょう。

社会が複雑化して何を信じたら良いのか分からない現代だからこそ、何かにすがりたいという気持ちが人々の中で大きくなっているのではないでしょうか。

アドラー心理学のポイント

それではここからは、『嫌われる勇気』で哲人の口から語られるアドラー心理学の重要なポイントについて解説していきます。

「原因論」ではなく「目的論」

「原因」があり、それに見合った「結果」が付いてくる。このような考えを「原因論」と言います。

世の中の普遍的な原理のように感じられるので普段の生活の中でも自然と「原因論」に則った判断をすることが多いでしょう。

しかし、アドラー心理学では原因論を否定し、「目的論」の立場を主張します。

目的論の例:トラウマは存在しない

目的論の立場の主張。具体例は、「トラウマの否定」です。

トラウマというのは何らかの原因があって生じるものなので、「原因論」の立場に立った考え方なのだそうです。

現在の医療現場でも原因論という立場を取っており、「体を冷やした(原因)から風邪を引いた(結果)」「辛いことがあった(原因)からトラウマを抱えてしまっている(結果)」というように診断されます。これをアドラーは否定しています。

原因論の否定:過去は関係ない

アドラーが原因論を否定する理由は、「先に進めないから」です。

先の医療現場の例だと、どちらも患者が求めているものは「治療」です。

過去に何があったかは重要ではなく、解決策の提示を求めて病院に来ている訳です。

ですので、アドラーは原因論に立った医療のあり方を否定しています。

それどころか、トラウマ克服の為に過去に遡って話を聞いていくカウンセリングにも警鐘を鳴らしています。

そのような対処法で悪化することはあっても良くなることはない、本当に改善したいなら、「これからどうするか」という未来のことを考えるべきだとしています。

目的論とは行動の原因ではなく「目的」を考えること

長年トラウマに悩まされている人がずっと変われないことには理由があります。

人を理解するのに最も有効な手段は、その人の本当の「目的」を考えることだそうです。

トラウマから解放されない人は、トラウマという「言い訳」を作ることで一歩を踏み出さないようにしているのだそうです。つまり、この人の目的は「現状維持」ということになります。

また、引きこもり生活から抜け出せない人がいるとしたら、過去に辛いことがあった(原因)からでもトラウマがあるからでもなく、注目を得たいという「目的」の為の行動であるとしています。

外の世界に出てしまうと大勢の中の一人になってしまうが、家の中で病んでいれば、家族は腫れ物を触るように扱ってくれる。本人には自覚がない場合が多いのでしょうが、裏に隠された「目的」はここにあるのだそうです。

かなり厳しい理屈ですね。。

物事の「原因」を考えるのではなく、このように「目的」に注目する。

そのような立場を「目的論」と言います。

目的論の立場に立てば、多くの人の心を理解できます。

自分の容姿にコンプレックスがあって恋愛に踏み出せない人は、容姿に原因があるのではなく、失恋して傷付くことを避けるという「目的」がある。

店員に怒鳴り散らすクレーマーは、悪い接客をされたという原因のためではなく、ストレス発散をしたいという「目的」がある。

このように、アドラー心理学では感情も「目的論」で考えます。

全ては「勇気」の問題である

「生きていく上で過去は関係がない」と聞くと冷淡な印象も受けますが、大事なのは「今与えられているものをどう使うか」だと哲人は言っています。

人間は誰しも、毎日「変わらない」という選択をしているのだそうです。変わることのリスクよりも、変わらないことの安全性を無意識的に選んでいるのでしょう。

しかしその根底にあるのは「楽でありたい」という目的です。

本当に変わりたいと思ったら、リスクを負わなければならないのです。

そういう意味で、人が変われるかどうかは「『勇気』の問題だ」と哲人は言っています。

「変わる」という勇気さえあれば、過去は関係ないのです。

全ての悩みは対人関係に関するもの

アドラーは「すべての悩みは『対人関係の悩み』である」と言い切っています。

これはアドラー心理学の中でも非常に重要なポイントです。全ての理論を理解する為の土台となる教えです。

広大な宇宙の中にたった一人で生きていたら「孤独」という概念すら存在しない。寂しさも対人関係の悩みだと言うのです。

更に、「あの人より出世したい」「もっと勉強ができるようになりたい」「もっと美しくなりたい」「もっと稼げるようになりたい」など、多くの人々が抱いている欲望もまた、誰かと比較をした上での「劣等感」から生じる感情なので、これらも「対人関係の悩み」としています。

全ての悩みが対人関係の悩みだとしたら、裏を返せば対人関係さえ上手くいっていれば人間は幸福な人生を送れるということになります。

そう言った意味ではアドラー心理学は「対人関係を中心に語る幸福論」とも言えるかもしれません。

人生の3つのタスク:仕事・交友・愛

アドラー心理学では、人間が幸福を感じる為には対人関係をベースとした3つのタスクに向き合う必要があると言われています。

太古の昔から人類は集団で狩りをして生活をしていました。その頃から一人では生きていけなかったし、生活が安定している現代でも、生まれたばかりの赤ちゃんは自力では生き延びることができませんね。

親をはじめ、周囲の人間と上手く「対人関係」を築いていく必要があるのです。

生まれた瞬間から人生の最期を迎えるまで、人間は対人関係を避けては通れないのです。

そしてアドラーは対人関係について非常に厳しい言葉を残しています。

何かのせいにして対人関係を回避しようとするのは「人生の嘘」である…と。

アドラーが対人関係をどれだけ重く捉えていたかが伺える言葉ですよね。

ちなみに、人生の3つのタスクとは、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」です。

仕事→交友→愛と進んでいくにつれて対人関係の深さと難しさが増していきます。

…なんとなく、感覚的に納得できる話ですよね。

【課題の分離】

アドラー心理学では「課題の分離」という概念も重要です。

自分の課題と他者の課題を見極めて、自分が背負うべき課題ではないものは切り捨てる。そうすることで人生がシンプルになるということです。

課題の分離の例:子供に勉強させることはできない

例えば、子供に「勉強をしなさい」というお母さん。

「子供に勉強をさせるのは親の役目だ」と考える人は多いかもしれませんが、勉強をしないで将来的に困るのは子供自信なので、実際は子供の課題=子供が自ら取り組まないといけない課題なのです。

アドラーは誰の課題かしっかり見極めて他者の課題に介入しないことを説いています。

自分の課題(自分が責任を負うべきこと)だけに専念することで、背負うものが多すぎて疲れてしまうという事態を避けることができるのです。

『嫌われる勇気』の哲人の言葉を借りれば、「世界はシンプルなものになる」ということですね。

承認欲求の否定

承認欲求は人間の普遍的な欲求で誰もが求めているものだと思われがちです。

しかし、課題の分離という点で考えてみると、どうやら否定せねばならないようなのです。

なぜかと言うと、「承認欲求」は行為をする自分がいて、承認してくれる他者がいて、そこで初めて満たされるもの、つまり「他者の課題」だからです。

褒められるような良い行いをするのは「自分の課題」ですが、承認してくれるか、褒めてもらえるかどうかは「他者の課題」です。

どんなに良い行いをしたとしても承認を得られない可能性もあるわけですよね。

それでも承認欲求がおさまらず、他者の承認を求めて生きていこうとする人もいるかもしれません。

しかしそのような生き方を続けていたのでは、「自分のための人生」ではなく、「他者のための人生」になってしまい、自由とは程遠い生き方だと注意を喚起しています。

承認欲求を捨てて、他者から嫌われることを恐れずに行動することで「本当の自由」が手に入るとされています。

『嫌われる勇気』というタイトルの由来の部分ですね。

人間関係のゴールは「共同体感覚」

「すべての悩みは対人関係の悩みである」と言ったアドラー。

人間関係にかなりの重きを置いていますよね。

実は、人間関係のゴールも明示しているのです。それが「共同体感覚」です。

『嫌われる勇気』の中では「ゴール」という表現をしていますが、要は「ここに到達することで『幸福』を感じられるようになる」ということです。

共同体感覚とは、たいへん理解が難しい概念なのですが、簡単に言うと「他者を仲間だと見なし、仲間の中に自分の居場所があると思える感覚」のことです。

共同体感覚に至るのは決して簡単なことではありません。

なぜなら、アドラーの言う「共同体」とは、家族や学校や職場などの身近なところに留まらず、国家や人類も包括し、更には過去から未来までも含んだ、文字通り「すべて」のことを指しているからです。

身近なコミュニティに所属している人を仲間と思うことはできても、宇宙全体を「仲間」と認識するのは確かに難しい気もします。

アドラー自身も「到達できない理想」だと認めていたという話がある通り、この理想(幸福)を目指して人間関係を築いていくのがアドラー心理学の教えなのでしょうね。

自己中心性から脱却し、他者へ関心を向けることで少しずつこの理想である共同体感覚に近付けるのだそうです。

共同体感覚に至るには「他者への関心」が必要

対人関係のゴールである「共同体感覚」を持てるようになるには、「自己への執着」を「他者への関心」に切り替える必要があります。

それには「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」という3つのステップが必要になります。

自己受容:自己肯定とは異なる

まず第一のステップが、「自己受容」です。

これは能力がなく何かができない自分がいたとしても、至らない部分も含めてありのままに受け入れる態度のことです。

ここで注意が必要なのは、「自己肯定」とは異なるという点です。

「自己肯定」とは、「自分はできる」と暗示をかけることなので、自らに嘘をつく生き方だとされています。

60点の自分に「今回は運が悪かっただけで本当の自分は100点なんだ」と暗示をかけるのが「自己肯定」、

一方で60点の自分をそのまま受け入れた上で「100点に近付く方法は」と考えるのが「自己受容」だと言っています。

 

完璧な人間など一人もいないのだから、「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めるのが重要。

その上で「変えられるもの」に関しては変えていく「勇気」を持つのだとアドラーは説いています。

これは「課題の分離」の考え方と同じですね。

他者信頼:信用ではなく「信頼」

自己受容ができたら、次は「他者信頼」です。

ここで重要になってくるのが、「信用」と「信頼」の違いです。

ざっくり説明すると、「信用」とはクレジット、つまり担保付き(条件付き)で信じることです。

一方で「信頼」とは、一切の条件を付けずに他者を信じる態度のことを指します。

無条件の信頼を寄せるのは簡単なことではありませんが、例え裏切られることになったとしても信じる、という態度を取ることで良い人間関係が築けるということですね。

 

裏切るのは「他者の課題」ですので、他者の行動を恐れずに「勇気」を持って無条件に信じることが大切だとしています。

これも「課題の分離」ですね。

他者貢献:仲間に働きかけようとすること

「自己受容」と「他者信頼」ができると、周りの人たちは「仲間」という存在になる。

共同体感覚を得るためには、この「仲間」である他者に対して働きかけ、貢献をしようとすること、「他者貢献」が必要になります。

「自己受容」「他者信頼」ができないまま行う貢献は偽善に繋がってしまう可能性があります。

しかし、しっかり周囲の人々を「仲間」と見なすことができれば、仲間の利益は自分の利益だと思うことができ、「ここにいても良いんだ」という「共同体感覚」に近付くことができます。

【賞罰の禁止】

アドラー心理学では「賞罰を禁止する」というのも注目すべきポイントの一つです。

褒めたり、叱ったり、誰もが自然に行っている行為ですが、アドラーはキッパリ否定します。

褒めることも叱ることも、背後にある目的は「操作」です。

他者を操作することとは、つまり相手の課題に介入することを指します。

何度も出てきているのでお分かりかと思いますが、「課題の分離」という概念はアドラー心理学の根本にある非常に大事な概念なのです。

「縦の関係」と「横の関係」

「課題の分離」ができていない為に、他者の課題に介入し、操作するような関係は「縦の関係」です。

相手の方が自分より下だと思い込んでいるからそのような発想になるのでしょう。

一方で、アドラーが推奨するのは「全ての人と『横の関係』を築くこと」です。

これは上下関係を無視しろと言っているのではありません。

そうではなく、人間は誰でも平等なのだという当たり前の概念を受け入れるべきだということです。

人間は関係性の使い分けができるほど器用ではないので、「この人とは縦の関係」「この人とは横の関係」と使い分けることができないんだそうです。

全ての人間と「横の関係」で接する為には、競争もするべきでないとしています。

【勇気づけ】

子育ては「叱って強制する」「褒めて伸ばす」と言う人もいますが、アドラーは賞罰を明確に否定します。

その代わりに出てくる概念が「勇気づけ」です。

勉強をしない子供に対して無理やり勉強させようとするのは「課題の分離」ができていない「介入」行為に他なりません。

「介入」が生じてしまうのは、人間関係を「縦の関係」で捉えているからです。

子供は自分より下の立場の存在だから「介入」しても良いと思っている親がいるということですね。

 

そうではなく、アドラーが推奨しているのは「勇気づけ」です。

「勇気づけ」という行為は、他者を「介入」によって操作するのではなく、手を差し伸べて自力での解決を「援助」することです。

 

それができるようになる為には、他者の課題に介入しないように「課題の分離」ができるようになる必要があり、人間関係を「横の関係」で捉えられるようになる必要があります。

幸福とは「貢献感」である

「幸福」については様々な議論があるところですが、アドラー心理学における幸福の定義は明確で、

「幸福とは貢献感である」と断言しています。

つまり、幸福とは、与えられたものや周囲の環境で決まるのではなく、貢献「感」という言葉の通り、主観によって決まるということです。

これは主観によって自由に「選択可能」だということを示しています。

「他者貢献」という導きの星に従って生きる

アドラーは「幸福なる生を実現したいと思っていても道に迷ってしまう事はある」とした上で、迷ってしまった時の人生の指針として、「導きの星」というというものを掲げています。

旅人が北極星を頼りに旅をするように、我々も人生に「導きの星」を持っていれば、迷ったとしてもすぐに道を修正できるという考え方ですね。

その人生の「導きの星」とは、「他者貢献」です。

「他者貢献」という「導きの星」さえ目指していれば、大きく迷う事はないし、何をしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。

「他者貢献」という星さえ見失わなければ、常に「幸福」「仲間」と共にあるとしています。

まとめ

最後に、アドラー心理学の根本にある重要な概念を3つまとめます。

  1. 他者は変えられない。変えられるのは自分だけ(課題の分離)
  2. 幸せになりたいのであれば「他者貢献」を目指すこと(幸福=貢献感(主観))
  3. 大事なのは主観を変える勇気、その勇気さえ持てれば誰でも幸福になることができる

この3点さえ押さえておけばアドラー心理学の基本概念を理解したことになるでしょう。

 

アドラー心理学は「使用」の心理学だと言われています。

多くの心理学は「所有」の心理学であるのに対し、生活で役立てることができて初めて価値が生まれるという意味でしょう。

全てを理解することはすぐには難しいかもしれませんが、アドラーの教えの中で一つくらいは、今日から実践できるものがあるのではないでしょうか。

今この瞬間から、人は「幸福」になることができます。

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