ホモ・サピエンスは「信じる」ことで進化してきた|人類の本能としての「信仰」

人間の三代欲求は「食欲」「睡眠欲」「性欲」だと言われています。

これらは全てが生き延びる(子孫を残す)為に必要なものに対する欲求です。

しかし、私は生き延びる為にはこの3つだけでは不十分だと考えます。

人が子孫を残す為にもう一つ大事な欲求は、「信仰」欲求です。

「信仰」と言うと、怪しい宗教か?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかしそんな大層な物ではなく、「信じる」能力・欲求という意味です。

いや、欲求という段階を通り越して「本能」と言っても良いでしょう。

この「信仰」本能について、「貨幣の誕生」から「狩猟採集時代」に遡って書いていきます。

貨幣は想像力によって誕生した

「信仰」と「貨幣」には深い繋がりがあると考えられています。

貨幣が発明されたのは、ホモ・サピエンス、つまり現生人類が共通の価値を信じられるようになったからだとされています。

この価値というのは生きることに直結するような実用的なものではなく、想像上の価値です。

物々交換をしていた時代はリンゴと靴を交換したり、肉と医療技術を効果したりして生きてきました。

これは生きる為に必要な、目に見える価値です。

物々交換は分かりやすくて便利な一方で、デメリットもありました。

例えば、天気が悪くて農作物が収穫できなかった時は、リンゴを作っている人々は交換するものがなくなってしまいます。

また、相手がリンゴを食べ飽きており、等価交換にならない場合もあります。

交換の品が変わるたびにレートを計算しなければならないという手間もありました。

そこで生まれたのが、「貨幣」という制度です。

昔はタカラガイの貝殻を貨幣として使っている文明が多かったようです。

貝殻は生きるのに必要な資源ではありません。

家にあっても何の役にも立たないかもしれません。

しかし、人々が「交換に使えるもの」として、想像上の価値を共有できるようになったから、貨幣が機能するようになったのです。

私の考えでは、物の価値や、将来のことなど、目に見えないものでも「信じる」ことができるのは、人類のみに進化してきた本能と言えるのではないでしょうか。

人類は仲間を信じることで生き延びてきた

貨幣の誕生よりもっと前の話。

今から数万年前の狩猟採集時代に遡ります。

この時代は、文字通り、動物を狩ったり木の実を採ったりして生活をしていました。

この頃のホモ・サピエンス(私たちの祖先)は、一人では生きていけませんでした。

今のようにスーパーや病院、保育園などはありませんので、狩りをするのも子育てをするのも仲間と協力をする必要があったのです。

その為、当時の私たちの祖先は、数十〜100人前後の血縁関係からなる集団で協力する生活をしていたと言われています。

集団で生きていくのに必要なことは、「信じる」ことです。

周囲の人々を信じられなければ、その集団にいることができなくなってしまいます。

現代は自分で所属する集団(会社・学校・趣味の集まりなど)を選べる社会ですが、当時は集団から抜けることは、文字通り「死」を意味していました。

マンモスやチーターなどの巨大・肉食野生動物がいる中で暮らしていたのですから、一人で放り出されたら生き延びられる訳がありませんよね。

仲間内で思想を共有することの大切さ

仲間の一人一人を信じることは勿論必要なことです。

それと同時に大事だったのが、「仲間内で思想を共有する」ことでした。

これはどういうことかと言うと、例えば、「あの山には鬼がいる」「神様が見ているから悪いことをしてはいけない」などの話を仲間全体で信じることです。

今となっては、「鬼」や「神様」というのは実在しないフィクションの上の存在だと私たちは知っていますが、当時の人々は本気で信じていたことでしょう。

「あの山には鬼がいるから行ってはいけない」と注意することで危険な場所に行き命を落とすことを避けられたでしょう。

また、「神様が見ているから周りの人には親切にしないといけない」と信じ、集団内の人間関係が良好になることも頻繁にあっただろうと考えられます。

疑いの目を向けることなく集団全体で本気で信じることで、生存確率をアップさせてきたのが私たちの祖先なのです。

私たちは信じることができた人々の生き残りである

貨幣の存在、集団で暮らす為に必要なこと。

上記のことから、ホモ・サピエンスが誕生した瞬間から、「信じる」ということが重要な要素であったことが伺えます。

逆に、「信じる」ことができなかった集団は、バラバラになってしまい、生き延びることができなかったのです。

もっと言うと、「信じる」ことができた人々のみが子孫を残すことができたのです。

つまり、現在生きている私たちは、「信じる」ことができた集団の生き残りということになりますね。

「信じる」遺伝子を引き継いでいるので、私たちも疑うことよりは「信じる」ことの方が容易にできるのは想像に難くないでしょう。

「信じる」という本能

「信じる」ことができる者のみが生き残り、子孫を残すことができた。

すると、「信じる」遺伝子が次世代に引き継がれます。

「信じない」人は生き残れなかったので、「信じない」遺伝子は淘汰されました。

何代にもわたって繰り返されると、その特徴は「本能」となります。

本能とは、生まれながらに持っている特性のことです。

現代社会に生きる私たちは、全員が、生まれながらに「信じる」ことを身に付けていると言えるでしょう。

おわりに…現代社会での「信じる」行為

何世代にもわたって「信じる」遺伝子が引き継がれた結果、今を生きる私たちは、誰もが、生まれながらに「信じる」特性を持つこととなりました。

この生きるための「本能」とも言える特性は、現代社会でも至る所で発揮されています。

自分の所属する会社の未来を「信じる」、上司の言うことを「信じる」。

一生懸命に勉強をすれば良い学校や会社に入れると「信じる」。

自分の配偶者や両親のことは特に無条件で「信じる」など、狩猟採集時代からの仲間意識も健在です。

また、「信じる」本能があると考えると、様々なことが納得のいく形で解決します。

科学が発展した現代社会においても宗教が偉大な力を持っているのも、根拠のない占いであっても人がすがり付くのも、誰もが「信じる」本能を持って生まれてくるからでしょう。

詐欺事件が後をたたないのも、モラハラ彼氏に振り回されるのも、「信じる」本能が根本にある問題なのかもしれません。

この本能を上手く生かす場所と、多少抑えてコントロールする場所を自覚することが、現代社会を生き延びる為の鍵になってくるのかもしれません。