「生きづらさ」の正体の解明

※自由研究の個人的メモです。読みづらい上に論理的飛躍・推測を多く含みます。

事前編

目的・最終ゴール

「生きづらさとは○○だ」と抽象化する。

検証方法

●●●●●(伏字:あるイベントの現場)において、自己と他者を観察することで「生きづらさ」の要素のパターンを抽出する。

仮説

暫定的な仮説として、以下のようなものが挙げられる:

  • 生きづらさとは、自由の侵害だ。
  • 生きづらさとは、収束圧力だ。
  • 生きづらさとは、アナログ状態だ。
  • 生きづらさとは、トリセツがないことだ。

また、生きづらさの要素を考えるにあたって、現時点で思い浮かぶ具体的なシチュエーションを挙げてみる:

  • 多くの人の中で自分だけが異なる考えや性質を持っていると感じた時。
  • 自分は正しい(と信じている)のに理不尽な扱いを受けた時。
  • 周りに合わせるために本心を隠して行動しなければならない時。
  • 社会に適応するために本来の性質とは異なった言動を取らなければならない時。

生きづらさとは、「疎外感」なのかもしれない。というのは、多くの人の中で自分だけが感じている、あくまでも「主観」的な感覚が生きづらさなのだ。このことは、「生きにくさ」ではなく「生きづらさ」という言い方がよく使われることからもわかる。

さらに、生きづらさとは、アナログ状態で感じるのかもしれない。デジタル化できたら、おそらく、「理不尽」など別の感想になるだろうから。「なんとなく理不尽だ」というよりも「なんとなく生きづらい」という語感の方がしっくりくることも、説得力を増すように思われる。

本編

当日のメモ

「生きづらさ」を感じた瞬間:

  • ●●●●●(伏字)の音が苦しかった時。なぜなら、一般的に素敵なものだとされているものなので、自分だけが疎外されているように感じてしまったからだ。→五感の不快感。キーワード:多数派との乖離、マイノリティ、自分だけ、疎外
  • 誰にでも極端に愛想良く振る舞っているのを自覚した時。なぜなら、全員に迎合しているようで、自分で自分を生きづらくしているように感じたからだ。→本心とは異なる行動。キーワード:適応圧力、不自然さ、迎合
  • ●●●●●●(伏字)の音がうるさかった時。なぜなら、「え、これが普通なの?みんな良いと思ってるの?自分だけだとしたら相当生きづらいな」と思ったからだ。つまり、変に客観視している感覚。 →五感の不快感。キーワード:自分だけ、マイノリティ、例外、多数派との乖離、疎外
  • ●●●●●●(伏字)の演目が終わって周りが拍手した時。なぜなら、別に何とも思ってないのに、拍手を強いられているような感覚を覚えた時、周りに合わせるのだるいなと感じたからだ。つまり、無言の圧力への反発。→本心とは異なる行動。キーワード:収束圧力、強制、暗黙の了解、不本意、多数派との乖離、疎外
  • ※反発しても合わせても、どちらにせよ「生きづらさ」は感じる気がする。いや、それはデジタル化されていないからだ。たぶん明確に「合わせよう」「反発しよう」と決意したら、「生きづらさ」はそこまで感じないかも。だとしたら、「生きづらさ」はアナログ状態で生じるということになる。「割り切る」という言葉が良い例かもしれない。「割り切る」ということは、つまり「自分の意思に反しているけど周りに合わせることを決めている」「変人扱いされることはわかっているけど周りに合わせないと決めている」ということだから、意図してデジタル化できていることになる。→「次は拍手しない」「次は拍手する」と決めてやったら、「割り切ってる感」があって、「生きづらさ」からは少し距離ができた気がした。
  • ●●●●●●(伏字)を横で見ていた時。なぜなら、勝手に無駄な比較をして不快になるのは、自分で自分を不幸にしているなと思ったからだ。→自分の性質の客観視。キーワード:疎外、比較、負の解釈、満たされなさ
  • お弁当を食べながら、疲れてきたなと感じた時(12:50頃)。なぜなら、勝手に張り切って勝手に疲れてるだけなんだけど、勝手にそうする性質だと思うと、今後もそれが続くんだな、それは生きづらいなと思ったからだ。→自分の性質の客観視。キーワード:長期的視点、暗黙の了解への追従
  • こういうことを考えていること自体。なぜなら、こういう解釈をすること自体が、長期的に「生きづらさ」を蓄積させていくんだなと思ったからだ。動物は、その都度、快・不快を感じるだけで、解釈はしない。→自分の性質の客観視。キーワード:長期的視点、暗黙の了解への追従

気付いたこと:

  • 「生きづらい」「生きにくい」の違い:例「生きづらさを感じる」→自分だけ、「生きにくい世の中」→環境の構造として。
  • 「生きづらい」という感覚は「自分だけ例外」という状況で起こるので、裏を返せば「唯一性がある」ということでもある。
  • もしかしたら子供たちは「生きづらい」という感覚はないのかもしれない。それは、自分の意志と収束圧力が未分化だから。「やりたい」「やりたくない」がハッキリしてくるのと同時に、「やらない」という選択肢が出てくる。ということは、「やらない」という選択肢がないうちは、「生きづらい」という感覚は出てこないのだろう。より正確には、デジタル化されていない=言語化されていない、ということだ。
  • ↑に関連して、子供が「生きづらさ」を感じた時に、つまり習い事とかで「やりたくない」と思い始めた時に、親はどうするべきなのだろうか。
  • ●●●●●●(伏字)の解説、いいな。●●●●●●(伏字)は改善の余地があるんだけど、それはさておき、●●●●●●(伏字)自体に価値がある。●●●●●●(伏字)だけだとなんとなくで過ぎてしまうけど、そのなんとなくのアナログ状態を●●●●●●(伏字)の言葉によってデジタル化することで、記憶に残るし、景色の見え方自体が変わってくる。解説があることによって初めて「観測」できるようになるということだ。つまり、解説はデジタル化(観測可能化)装置。
  • 「い(居)づらい」と「生きづらい」は違う。前者はその時だけで、後者は継続的に感じるもの。
  • デジタル志向が強いタイプは、興味がないものは観測しないので波動のままである。デジタル志向が強いタイプの脳にとっては特に、粒子化しないと意味のある認識が難しいし、記憶に残らない。
  • 外に出ていると、「生きづらさ」なんか全く感じなくなる。あたたかい日差し、波の音、潮の香り、五感がフルに刺激されているからだろうか。いや、「自然状態」には「生きづらさ」なんか存在しないのかもしれない。

帰ってきてから考えたこと:

「生きづらさ」を感じた瞬間の共通点としては、

  • 周りの多くの人とは違って自分だけ違うと感じていて(疎外・マイノリティ・多数派との乖離)、
  • かつ、自分はこれまでも、またこれからもそういう性質だということを認識していて(長期的視点・客観視もしくはメタ認知)、
  • かつ、明確に言語化もしくはルール化されていない時に感じること(暗黙の了解・収束圧力)ではないだろうか。

結論

「生きづらさ」とは、明文化されていない状況で発生する、なんとなく自分だけ違う性質だと感じる長期的な違和感、と言えるのではないか。

この定義上、感情や構造を明確に言語化できた時点でそれは別の概念になるというのが大きな特徴だと言えるだろう。

また、他者と比較したうえで自分の性質を認識して、かつ、長期的な視点で不具合が生じることを予測できる必要があるので、「生きづらさ」を感じるには、かなり高度な認知能力が求められる。

次の仮説

  • 「生きづらさ」を感じる部分をヒントに強みを見つけられる。
  • 「自然状態」にある時は「生きづらさ」は感じない。

ちなみに、子供の「生きづらさ」に対する親の対応も興味深いテーマである。

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