「おいしいお米はおいしい?」母のひとことで気づいた言葉の奥行き

母の一言に「えっ?」となった日

「おいしいお米食べたらおいしいのかしら」
母がふとそう言った。思わず「えっ?」と聞き返す。

「最近、美味しくないお米に慣れちゃったけど、美味しいお米食べたら美味しいのかしら」
──なるほど。最近は値上がりで質の良いお米を食べていない、という文脈らしい。文字にするとちょっと変だけど、会話としては成立している。意味もわかる。

でも、日本語教師の私はつい考えてしまった。「これ、外国人の学習者にも伝わるのか…?」

「美味しい」に詰まった二つの意味

初級レベルの学習者にはたぶん伝わらない。だって英語にしたら「Delicious rice is delicious?」になる。そりゃそうだろ、で終わってしまう。
この発言の本当の意味は、「高品質なお米を食べたら、ちゃんと美味しく感じるのかな?」だ。

ここで大事なのは、同じ「美味しい」という抽象的な言葉でも、その中には違う具体的な内容が入っているということ。

  • 前半の「美味しい」=客観的な品質(例:○○商店で売っている、形が綺麗で新鮮さが売りの)

  • 後半の「美味しい」=主観的な味の感覚(例:噛むと甘みが広がって、炊きたての香りがふわっとする)

上級者ほど「具体」と「抽象」を行き来できる

私はこの「具体 ⇄ 抽象」の行き来ができるかどうかが、日本語上級者の条件の一つだと思っている。言葉を抽象レベルで理解し、その中身を具体的に描写できる人は強い。

会話ではあえて抽象の方がいい時もある

母はその後、丁寧に説明してくれた。
「地元で評判のお米屋さんの○○商店とか。今は高くて買えないけど、そういうお米って素人が食べてもやっぱり美味しいって感じるのかな」
──わかりやすい。でも、長い。もし会話の流れでポッと出てきた話題だったら、この説明はテンポを崩すかもしれない。逆に「美味しい」の一言で済ませた方がスムーズなこともある。

「かわいい」も「やばい」も同じ仕組み

考えてみれば、「かわいい」「すごい」「やばい」なんかもそうだ。感動の瞬間、語彙力が一瞬どこかに飛んで、抽象的な一言しか出てこないことってある。
簡単な言葉で済ませてしまうのは、必ずしも悪いというわけでもない。むしろ、その方が気持ちがストレートに伝わる時もある。

「具体」と「抽象」、どちらも使いこなす

細かく描写して状況をクリアに伝える力と、あえてふわっとさせて感情を共有する力。その両方を持っていると、会話も文章ももっと豊かになる。
母のお米の話から、そんなことを考えた。

1行自己紹介

鈴木笑里(すずきえみり)/イベント司会者&日本語教師。抽象語を咀嚼してご飯のおかずにするのが日課。