挑戦とは「刺激」である
人はなぜ挑戦するのだろうか。
何か成し遂げたい目標があるから? 一歩前進したいから? 現状に不満があるから? 誰かに言われて仕方なく?
色んな人がいると思う。全部が正しく、正当な理由だ。
しかし、私にとっての挑戦とは、特に成長のためということではなく、単に「刺激」のためである。その意味では、「挑戦のための挑戦」と言ってもいいかもしれない。
私はこれまで、「挑戦」を積み重ねながら生きてきた。とはいえ、挑戦(刺激)には不安やプレッシャーも伴う。でもそれはネガティブなだけのものではなく、ナーバスになる瞬間があるからこそ、喜びも大きくなり心に残る。投資の「リスク」の考え方と同じで、下に振れた分だけ、上に振れる可能性があるということだ。
私にとって新潟県糸魚川市(以下、糸魚川:いといがわ)は、ヒスイの町であると同時に、「挑戦」を重ねる場所になっている。今まで糸魚川でしてきた挑戦と、そこから得たことを書いてみたいと思う。
「宝石が拾える海」との出会い
かつて仕事で一緒になった人から「宝石が拾える海がある」と聞き、長年憧れを抱いていた。しかし、同年代の友達からは「石にはあんまり興味ないな…」と言われ、糸魚川への旅はなかなか実現しなかった。「このままでは手の届かない『憧れ』のまま終わってしまう」。そう思った私は、思い切ってソロで出かけることにした。未知の土地・糸魚川への初めての挑戦。これが2022年8月のことである。
初回の糸魚川ではヒスイらしきものは一つも拾えず、代わりに薬石を大量に持ち帰った。しかし、成果がなくても挑戦そのものが刺激的で、印象に残る。きっと何十年経っても、あの旅は、美化された思い出として私の人生を肯定してくれるだろう。
「挑戦」を意図的に重ねていく
2回目以降の糸魚川への旅も、毎回なにかしらの「挑戦」を意図的に挟むようにした。
石に全く興味がない母や友達にヒスイの素晴らしさを伝えて一緒に訪れたり、SNSでずっと気になっていたお店「みどり店」さんを訪ねたり、宿の選び方も毎回変えてみたりした。食事も毎回初めてのお店に行くというノルマを課した。
そしてヒスイを探す海もどんどん拡大していった。私は糸魚川では電車とバスを乗り継いで移動するので、行ける場所が限られてしまう。そんな中でも旅を重ねるごとに「行ったことのある海」を増やしていった。余談だが、私のおすすめの海は道の駅の目の前にある「親不知海岸」だ。ヒスイに興味がある方は是非行ってみてほしい。
孤独ではない「一人旅」
挑戦は孤独な印象が強くなりがちかもしれない。しかし、私の場合は、母や友達、みどり店の店主さんなど、誰かと関わらせていただく中で広がってきたと思っている。
もちろん一人で長い海岸を歩きながらヒスイを探す時間もある。けれど、私は孤独だと思ったことは一度もない。波や風、足元の無数の石、そうした自然との相互作用の中で歩みが推し進められる。完全な「孤独」などあり得ないのだ。
「音」に挑んだ3日間──ひとり音合宿
自然との相互作用の中で、「内への探究を深める」という挑戦をしたこともある。それは、「音合宿」という試みであった。
と言っても、こんな意味不明なイベントに参加してくれる人は誰もいないことをわかっていたので、一人で「合宿」と名付けた旅をした。ソロで糸魚川に行くのも慣れたものだ。「音」に関するすべての要素に意識を集中させ、何か一つの結論を持ち帰りたい、そんな思いで挑戦した。
新幹線の中では雑音に耳を傾け、駅の発着メロディーのテンポを分析する。糸魚川の海では波の音に意識を向け続け、規則的だと思っていたら急に不規則になったりして心が乱されるのを楽しんだ。ホテルでは音に関する書籍を読み漁り、オノマトペに関するYouTube動画を食い入るように見る。空腹時の音に着目し「健康」と「見栄」について考え、ある西洋人の声を聞き「個」と「全体」の価値観が異なるんだな、など思索に耽った。
3日間の音合宿で、音を起点にあらゆる方向性へと思考が広がっていった。学問もまた、きっとこうして些細な観察から広がってきたのだろう。そう思うと、学問の発展の歴史を再現しているようで気分が高揚した。
過去最大サイズのヒスイと出会う
5回目の糸魚川では、大きな成果を得られた。なんと、片手に収まらないくらいの過去最大サイズのヒスイを拾えたのである。しかも光を当てると綺麗に透過する、良質なものだ。ルーペで拡大すると結晶がキラキラしていて、つい長時間魅入ってしまう。
ヒスイは実に、驚きの連続なのだ。…ヒスイ探しには、時折こうしたジャックポットがある。だから、やめられない。ただし、ご褒美は副次的なものである。ヒスイは気まぐれだ。どんなに慣れた玄人ハンターでも、1日ずっと歩き回っても一つも見つからないことがあると言う。見習いハンターの私はなおさらだ。
だから、報酬ありきで出かけるわけではない。でもだからこそ、努力や必死の準備が報われたときには全身が快感で満たされる。この旅では新しい挑戦の場所として河口付近を選んだので、工夫が功をなしたのだと嬉しく思った。
命をかけた挑戦──運転という新たな壁
そして、今回また新たな挑戦を企てている。ある意味、命をかけた挑戦だ。その内容とは、レンタカーを利用して自力で糸魚川の海岸を移動することだ。
命をかけた挑戦とは何を大袈裟な、と思うかもしれない。でも私にとっては莫大なプレッシャーがかかった、人生を変えるほどの挑戦なのだ。
都会暮らしが長いこともあり、運転免許を取得してから長年ペーパードライバーだった。地元の田舎道すら、ろくに運転できた試しがない。そもそも、運転に向かない性質らしく、免許を取るだけでも相当苦労した。というのも、私はファミレスのトイレから自席に戻れなくなるくらいには恵まれた方向音痴なのだ。
そんな私が、ここ2ヶ月間、猛特訓をした。このままでは一生運転できずに終わってしまうと確信したので、ここらで一丁、人生を変える努力をしてみようと思い立ったのである。大好物のヒスイのためという口実があれば頑張れる。そう思って、目標を「糸魚川で運転すること」と定めたら、練習も捗った。
正直、まだバックや駐車は苦手だ。おそらく糸魚川でもコンビニすら立ち寄れないだろう。だけど、海沿いの道を走って移動するくらいならできそうだと思えるようには成長した。ここが正念場だ。今回のドライブが成功したら、人間としての自信が持てるような気がする。
プレッシャーの先に、結晶がある
そこまでしなくても、と思う人は多いかもしれない。だけど、命に直結する不安とプレッシャーがあるからこそ、達成したときに得られる刺激や喜びも大きくなるのだ。ヒスイが地殻の圧力に耐えて結晶していくように、私もプレッシャーを糧に、自分なりの形を結んでいきたいと思う。
おわりに──「挑戦のかたち」は人それぞれ
以上が、2022年8月からの全6回にわたる糸魚川での挑戦の歴史である。
「挑戦」という言葉は、「成果」や「成長」と結び付きやすい。それは自然なことであり、必然でもある。しかし私は、それらはたまたまついてくる結果だと考えている。
私の中ではあくまで、「挑戦」とは、刺激を味わうためのものであり、「挑戦のための挑戦」であるのだ。そして、不安やプレッシャーが大きければ大きいほど、刺激も大きくなり、満足感が増す。ポジティブに振れる前には必ずネガティブに振れる必要があるのかもしれない。そういう意味では、お金がある時より、なくて苦しい時に宝くじに当たった方がより嬉しく思うのと同じだ。
繰り返すが、私の中では「挑戦」は成長や結果ありきではなく、それそのものが目的になり得る。けれど、ヒスイが長い時間をかけて大きく形づくられるように、私の挑戦もまた、気付けば人との出会いや仕事に繋がっていくのかもしれない。それは非常に喜ばしいことだ。
誰にでもきっと、自分なりの『挑戦のかたち』があるのだと思う。あなたの挑戦は、どんなかたちだろうか。
1行自己紹介
鈴木笑里(すずきえみり)/イベント司会者&日本語教師。方向音痴なのにヒスイのためならどこにでも行く。