『自由』の次に欲しくなるもの──私が見つけた『刺激』と『承認』という幸福の条件

「この仕事がなくなったら、私には何も残らない——」
そう感じたあの日から、私は『幸福』について真剣に考えるようになりました。

その結果たどり着いたのが、『自由』『刺激』『承認』という3つのキーワード。
前回の記事では『自由』を深掘りしましたが、今回はその次に私が欲しくなる『刺激』と『承認』について書いてみたいと思います。


『自由』には「安定」が含まれている

私にとっての『自由』とは、何にも縛られず、自分の意思で行動できる状態のことです。でもそれは、静かな「安定」でもあります。

心が揺れ動く瞬間が少なく、ずっと落ち着いていると、だんだん退屈になってくるのです。そこで私は、『刺激』を求めたくなります。

たとえば、大学入学と同時に一人暮らしを始めて『自由』を手にしたとき、「楽しいことがしたい」と思っていろんなサークルに入りました。仲間ができて「安定」を感じたら、次は「もっと面白いことがしたい」と思い、イベントの企画に挑戦しました。

このように、私にとっての挑戦は、『刺激』を得ることそのものなのです。行動の先にある未知との遭遇を想像することで、心が高鳴ります。


『刺激』とは、「非日常」への一歩

みなさんがそうかはわかりませんが、私は、『自由』が整うと『刺激』を求めてすぐに行動に出たくなります。五感や感情が震えるような「非日常」を味わうことは快感です。

たとえば、旅行や初対面の人との関わり、芸術に触れることなど。どれも未知との遭遇があるからこそおもしろい。

はじめて観光大使として舞台に立った日のこと。客席からの拍手とライトのまぶしさにゾクッとしました。五感も感情も大きく刺激され、何年経っても忘れることができません。

ただし、このような『刺激』には不安定さがつきものです。挑戦することには不安やプレッシャーもある。バンジージャンプのように、大きな刺激を得られるものほど、命のリスクを感じることもあるでしょう。

「不安定」という意味で、刺激を求めた挑戦は「ジャンプ」に近いと感じます。地に足がつかない瞬間を楽しむ行為なのです。

そしてもうひとつ。『刺激』は、行動を始めるためのエネルギーになります。刺激を予測できるからこそ、動き出すことができる。刺激という燃料が追加されるから、行動を続けられるのです。


『承認』がもたらす落ち着き

『刺激』という不安定さを味わったあとには、「落ち着く場所」が欲しくなります。私にとっては、『承認』がこの役目を果たしてくれます。

『承認』は、2つに分けられると感じています。ひとつは『他者承認』、もうひとつは『自己承認』。

『他者承認』は、誰かに褒められること。承認欲求を満たす、もっともわかりやすい形です。『自己承認』は、自分で自分を認めてあげられる感覚。他者が関わるかどうかの違いです。

特に『自己承認』には、自分の行動の意味や価値を確認するというニュアンスがあります。


コロナ禍で見えた、『自己承認』の価値

数年前のコロナ禍のとき。イベント司会の仕事をしている私は、多くの仕事が中止になってしまって、苦しみました。

かつての私の生きがいは、仕事で評価されること。つまり『他者承認』がすべてだったのです。だからこのとき、「存在価値を失った」と感じて絶望してしまいました。

そんな中で私を救ってくれたのが、「読書」と「勉強」でした。この頃から、『自己承認』の存在に気づき始めたのです。

誰にも褒められなくても、「難しい本を読み終えた」「新しい知識が増えた」という小さな達成感が、私を満たしてくれました。

自己承認を積み重ねることで、下がった自己肯定感が元に戻っていく感覚がありました。

この経験で気づいたのが、「大人になってからの学習は、自己承認のための行為になり得る」ということです。

学生時代は、評価されるために勉強することが多いと思います。「親や先生に褒められたい」、「良い学校に受かりたい」、「就活で成功したい」など。私にも心当たりがあります。

でも、大人になってから余暇時間に始める勉強は、純粋な趣味として楽しめるかもしれません。成果ではなく、「没頭するプロセス」を自分で認められることこそが、満足感につながるのです。

他人に評価されることは必須ではない。もっと言うと、誰かに見られることすら必要がないのです。

私が最近感じた自己承認の例をもうひとつ。愛犬のトリミングをしたときに、「お、よくやったな自分」と思いました。

私はあまり手先が器用な方ではないけど、前回より愛犬がかわいくなったのを見て、思わず心の中でガッツポーズをしてしまいました。

自己承認を得られる機会は、意識してみると日常の中にけっこう転がっているようです。


『自己承認』と『他者承認』、どちらも必要

コロナ禍で実感したように、『他者承認』だけだと、自分の人生をコントロールできていない感覚に陥ってしまうことがあります。

一方で、『自己承認』だけでも、社会の一員として生きている実感が薄れてしまうかもしれません。

何事もそうですが、大切なのは、両方のバランスを取ることなのだと思います。


『自由』『刺激』『承認』は循環する——止まったら死ぬマグロのように

『自由』が整うと、『刺激』を求めて行動に出る。『刺激』の先には、『承認』がある。そして、承認を得ることでまた心が安定し、次の『自由』を手に入れたくなる——

この3つは、直線ではなく、ぐるぐる回り続ける円のような関係です。

たとえるなら「止まったら死ぬマグロ」。私にとっての『幸福』とは、このサイクルの中で泳ぎ続けることそのものなのです。それこそが、私にとっての人生なのです。

ちなみに余談ですが、今回ふと思ったことがあります。私が昔から「行動できる人間」でいられたのは、両親のおかげなのかもしれません。

行動に出るための原動力になる「心の安定」を、幼少期から十分な承認で満たしてくれた。HP満タンの状態で戦闘に出られるから、守りに走らず、思い切った攻撃ができるのかもしれません。

私も、誰かの『承認』を満たしてあげられる存在になりたいものです。


おわりに──自分だけの『幸福』を見つけるヒント

『自由』『刺激』『承認』。この三要素は、私にとって進む道を示してくれる羅針盤です。

コロナ禍で生きがいを失ったときに自己を見つめた結果、見出しました。自分と向き合って3つのキーワードにたどり着いたことで、『自己承認』を得ることができました。

その感覚が、また行動に出るために背中を押してくれたのです。

「社会が不安定なときこそ哲学が流行る」と聞いたことがありますが、それを実感しました。この三要素は、私にとっての幸福の哲学なのです。

『自由』『刺激』『承認』という3つのキーワードが、すべての人にとって共通かはわかりません。でも、自分の幸福を構成する要素を見つけて言語化できたことで、私はずいぶん楽になった実感があります。

ここにたどり着くまでの過程は、もしかしたら誰かの役に立つかもしれません。
いつか、「この3つにどうやって気づいたのか?」というプロセスを掘り下げて書いてみてもいいかもしれません。

1行自己紹介

鈴木笑里(すずきえみり)/イベント司会者&日本語教師。長文の日記を書くと自己肯定感が上がる。