「就活=自由への道」…のはずだった
多くの人が就職活動を経験したことがあると思います。もちろん、私もそのひとり。当時は、自分が望む職場で働くため、つまり『自由』を手にするための就職活動だと思っていました。
4つの内定を獲得しましたが、どこかに違和感が。「これって本当に自由なのかな?」と。結局、すべての内定を辞退することにしたのです。
今思えば、私が強く自由を望むようになったのは、高校生になる少し前からだった気がします。きっかけは、中学校の厳しすぎる生徒指導。それに疲れ果ててしまい、校則のない高校へ進学することにしました。ここから、私の『自由』を求める旅が始まったのです。
私にとっての『自由』とは何か?
『自由』と聞いて、何を思い浮かべますか? 人によってさまざまだと思います。ここでは、私にとっての自由についてお話ししてみたいと思います。
私にとって自由とは、「自分の信じた道を、誰にも干渉されることなく突き進めること」。目指す方向を自分で決めて、そのための選択肢がたくさんあって、誰にも邪魔されずに進み続けられる──そう感じられるとき、私は自由でいられるのです。
つまり、『目的地』よりも、目的や目標を達成するための『プロセス』自体が重要。進んでいる途中の感覚こそが、私の自由の正体です。
コロナ禍の数年間は、明らかにその自由が侵害されていました。目標を持つことすら難しく、行動の選択肢も極端に減ってしまったからです。結果的に、幸福感も大きく損なわれていたように思います。
ちなみに、『自由』について厳密に定義しようとすると3つの要素があると思っていますが、これについては後述します。
『自由』を求め始めた原点
私が初めて「自由が脅かされている」と感じたのは、小学校6年生の頃でした。
当時は担任の先生の方針で、朝活としてクラス全員でドッジボールをすることが強制されていた。運動が苦手な上に朝が弱い私にとっては、ただただ苦痛でしかありませんでした。
中学校では、さらに理不尽なルールや指導がのしかかってきました。先輩や先生への礼儀がルール化されていたり、眉毛を剃った生徒がいるというだけで臨時の全校集会が開かれたり。お説教の集会は日常茶飯事で、個性を否定されているような日々でした。
おそらくこの頃までの「義務」と「柵(しがらみ)」の存在の積み重ねで、無意識のうちに自由を求める気持ちが大きくなっていったのだと思います。
高校・大学で実感した『自由』のリアル
高校に入学すると、校則がなくなり、少しずつ自由を実感できるようになりました。塾に行くのが嫌だったので、大学受験も完全に独学で挑戦。周囲の同級生が嫌々塾に通う姿を見て、「精神的にも身体的にも、そして金銭的にも拘束されているな」と感じて苦しくなりました。
私が考える自由の3要素は、『精神的自由』『身体的自由』『金銭的自由』。この三つがそろって、はじめて「本当の自由」が実感できると思っています。
大学合格が決まったとき、「ああ、私の判断は間違っていなかったんだ」とホッとしました。
ちなみに、「勉強で時間を拘束されていたのでは?」と思うかもしれませんが、私にとってはそれも『自由』の一部という感覚でした。誰にも干渉されず自分の道を突き進んでいたので、好きなことをしているという実感が伴っていたのです。それが精神的な自由につながっていた。
つまり、私にとって「時間の自由」とは、『精神的自由』の中に含まれているのです。
大学時代に感じた行動の『自由』
大学に入学してからは、一人暮らしを始めました。まさに、『自由』を満喫できる生活のスタートです。
「後悔のないように自由に行動しよう」と心に決めて、さまざまな活動に取り組みました。いろんなサークルに入って、数えきれないほどのアルバイトをして、留学も経験しました。アナウンススクールに通って、司会の仕事を始め、モデルや観光大使のオーディション、ビジネスコンテストなんかにも挑戦した。
どれも心から「やりたい」と思ったことで、自分の意思で選択して、自分のペースで取り組んでいました。その意味で、大学時代の私はまさに『自由』の中に生きていたと思います。
すべてが「『大』成功!」というわけにはいかなかったけど、悔いはありません。なぜなら、どれも「自分で選んだ道」だったからです。
”就職”は『自由』の対極にあった
そうこうしているうちに、就職活動の時期がやってきました。
「自由な働き方を手に入れるための就職活動」──そう思って始めたのに、実際は不自由の連続でした。SPI(筆記試験)の勉強に時間を取られ、真っ黒なスーツに真っ黒な髪。女性は低い位置での一本縛りが暗黙の了解。同一性が重視され、まるでお葬式みたい。
髪色の暗さは気分の暗さに直結するんだと感じた私は、小さな反抗としてハーフアップにしてみたけれど、心は晴れなかった。
「個性が輝く人材を採用したい」とは……? 本音と建前の乖離がある状況では自由を実現できないと気づきつつありました。
でも、違和感を抱きながらも1ヶ月で4社から内定をもらい、いったん就活は終了。
その後、内定先の会社でアルバイトをしてみて、より強く思いました。「就職したら、『自分の人生』じゃなくなるのでは……?」
だからこそ、自身の『自由』を守るために、すべての内定を辞退する決断をしたのです。
ここから、私の『自由』であり『不自由』でもある社会人生活が始まります。
『自由』を軸に選んだ働き方
就職活動中は、「新規事業に関われる」「裁量権がある」などを条件に企業選びをしていました。もっとわかりやすくいうと、「挑戦ができて、自分で道を切り拓ける働き方がしたい」ということ。
つまり、自由が土台にある働き方を求めていたのです。
そんな私が「これだ!」と思えたのが、大学時代のある経験でした。
サークルで全国規模のイベントを企画し、たまたま司会を務めることになったのですが、参加者から「あなたのお陰で楽しめた」「最高の思い出になった」とフィードバックをいただけて、電流が走るような感動があったのです。
このとき、「この自由なプロセスで得られたインパクトを、仕事でも味わいたい」と強く思いました。
今、私がやっている「司会業」と「日本語教師」という仕事は、スケジュールや方向性をある程度自分で決めることができ、『自由』との相性が抜群です。
実は他にもさまざまな仕事を試しましたが、残ったのがこのふたつでした。続けられなかったものは、自由を実現する手段として私の中ではイマイチだったということです。
自由の影にある「不安定さ」
「自由な働き方」と聞くと、多くの人はポジティブな印象を持つかもしれません。でも、自由には不安定さがつきものです。
時間にも場所にもとらわれず、自分に決定権がある働き方は素晴らしい。でも、その過程で直面するのは、主に「金銭的な不安定さ」、そしてそれに伴う「精神的な揺らぎ」です。
私も、社会人になったばかりの頃はそうでした。そして、収入が安定してきたと思った矢先に、コロナ禍。一気に仕事がゼロになってしまったのです。
それでも、新しいことに挑戦しようと思いました。そうして出会ったのが、日本語教師という仕事。今でも続けている、私の自由を支える大切な仕事です。
この経験から学んだのは、「不自由な状況で”もがく”過程もまた、自由の一部になり得る」ということ。だから、自由を目指す途中で一時的に不自由な状態になっても、それは「もっと大きな自由」を手に入れるための準備期間だと思えるようになったのです。
もしかしたら、『目的としての自由』を信じられるかどうかで、忍耐強さが決まるのかもしれません。
『自由』は幸福の土台である
ここまで、「私にとっての自由」についてお話ししてきました。
実は、私が感じる幸福には、3つの要素があります。それが、『自由』『刺激』『承認』です。
この3つがそろったとき、はじめて「幸せだなあ」と心から思える。
でも、その中でも一番最初に満たされるべきなのが『自由』だと考えています。
自由がないと、何も始められない。刺激を受けに行くことも、誰かに認めてもらいに行くこともできません。
だからこそ、『自由』を確保することは、幸福のための基礎工事みたいなもの。幸福にはさまざまな形があるけれど、それらのすべての土台になっているのが、『自由』なのです。
1行自己紹介
鈴木笑里(すずきえみり)/イベント司会者&日本語教師。『思い立ったら即行動』。失敗も学びだと信じている。